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同時多発テロの街でEpisode2を待つ >> English

Episode2公開2日前、ニューヨークのSWファンと貿易センタービル跡地を訪ねたときの記録。写真をクリックすると大きいサイズで見られます。(2002年5月)

5月14日午前10時、ニューヨーク。STAR WARS Episode2公開まで約38時間。マンハッタンのど真ん中にある映画館Ziegfeld Theaterの前には、物語の続きを待ちきれないファンが10人ほどたむろしている。とはいえ前売り券は10日ほど前に発売されているし、あとは劇場のどの場所で見るかくらいがわずかに残っている問題なので、ファンのほとんどは明日の夜までそれぞれの家や職場でおとなしく英気を養っているところだろう。この1ヶ月以上の行列で愛用されてきたのであろうテントの数々も今は暇そうに、すっかり色が馴染んでしまった路傍に並べられている。
ひと月を行列に費やしたりはしないものの、私も3年間同じものを待っていた者のひとり。2日前にこの街に着き、観光などしていたものの、共感を持て余して今朝は彼らを訪ねた。
ひとしきり挨拶を交わし、写真を撮らせてほしいと申し込む。すると言われた。
「写真を撮って日本のみんなに見せるなら、ここもいいけどまずはグラウンド・ゼロだよ」

Ziegfeld前のテント、椅子。 残り38時間を待つファンたち。
ひまつぶしはSWチェス。 先頭テント全景。

昨年の9月11日、あの同時多発テロで崩れた貿易センタービルの跡地を、彼らはグラウンド・ゼロと呼ぶ。何もなくなったからだ。
彼はその現場で週末ボランティアをしているグレッグという地方公務員さん。胸にはその資格証のプラスチックカードがかけてあり、そのストラップには各州からの感謝のバッジや子供からのメッセージカードがズラリと並んでいる。
「暇ならこれから連れてくけど?」

地下鉄で20分ほど行く。
Chambers Street駅の階段を登ると、そこにはもう「現場」の空気が漲っていた。
生々しいものが見えるわけではない。ただ、その空気。それは悲壮感ではない。悲壮感はないわけではないが、数々の感情の奔流がそれを包み込み別の形に変えている。

壁という壁にあふれる世界中の言葉。
下の写真、壁の上のほうにぶらさがっているのは、各地の地名やチーム名、学校名などが入ったTシャツの列。メッセージの主がどこから来たかを表している

「がんばれ」「負けるな」「やめるな」「沈んでいてはだめだ」
「悲しい」「こんなこと嫌だ」「仲良くしたいのに」「どうしてアメリカなのか」
「あなたがいなくなって寂しい」「いい奴だったのに」
「平和がいい」「消防士さんありがとう」
単純な感情の表現が、そこにはあふれていた。
アメリカ中、いや世界中の子供と大人が、文を書き、絵を描き、千羽鶴を折る。
理屈はあまりない。理屈抜きの単純な感情には間違いがない。だからためらいがない。

それらは時に誤解を受けやすい内容ではある。アメリカは負けない。その感情は戦いの現動力や理由として扱われやすい。実際に政府はそう扱っているだろう。
しかしグラウンド・ゼロで出会ったものの内のただひとつにも――私が見た範囲では――何かを攻撃しようという意志を含んでいるものは見当たらなかった。あれだけたくさんのメッセージがあり、すべてが違う形をとり、様々な場所から送られたものであるのにもかかわらず。
ブッシュを支持するメッセージはある。しかしそれは報復攻撃の意思とは直結していない。言葉を擦り変えて表現しようというような複雑な企みも感じられない。立ち止まらずに何か行動するという決断を下した指導者の、前向きなパワーを彼らは讃えている。ここにあるメッセージは、その行動の結果を考え想像するような段階のものではない。感情として発露した直後の、初歩的で純粋な段階のものだ。
それなのに、戦場は地平線の向こうに依然として存在している。戦いは進行している。

現場を見るには、そのために設置されているバルコニーに登る。その手すりにも隙間なくメッセージが書かれている
少し向こう側には、遺族用に別のバルコニーが用意されている。

St. Paul's Chapel。この教会は、ひとブロック先の現場で働く者たちが体と心を休める基地になっている。ここには通常、資格を示すカードがないと入れない。ボランティアスタッフであるグレッグのとりなしで、私は特別に入ることを許された。
ここにも、世界中からのメッセージが溢れていた。
寄せられたメッセージをあらゆる場所――壁、柱、椅子の背の空いているところすべてに貼ってある。
2階に並ぶ仮設ベッドの空いている枕には、子供たちからのメッセージがついたぬいぐるみが乗せられている。
入れ代わり立ち代わり現れ、教会の隅で当然のように演奏しては去っていくミュージシャンたち。料理を提供するコックたち。その中にやって来て、休み、または眠り、会話をし、また去っていく消防士、作業員。
グレッグは言った。「ぼくもここで眠ったことがある。ここで迎える朝の感覚は、何にも増してすばらしい」

「子供たちに返事を書いてください」と、感謝カードの束がバスケットに入れてある。これはそのカードに印刷されている写真。
疲れて帰ってくる消防士や作業員の気持ちを乱さないように、教会内は写真撮影が禁じられている。

グラウンド・ゼロにさらに近いところには、大きな白いテントが建っているらしい。そこはSt. Paul's Chapelと同じく、グラウンド・ゼロで働く者のサンクチュアリらしい。
彼らはそれを「タージマハル」と呼ぶ。現場から帰るとテントだって宮殿のように思えるからだと、グレッグは言った。
グレッグはそこへも私が入れるようにと交渉してくれたが、入り口に立っていた彼の友達は一歩も引かなかった。彼らは、実際に現場で身を呈している者たちを、旅行者やマスコミから真剣に守っていた。
「これはnationalismに関することだから、いくら友達の頼みでも譲れないよ」
nationalism。彼らがその言葉を使うニュアンスは、どこか「ナショナリズム」という日本語が我々に与える印象から離れたところにある。
「俺はここで育ったから」「俺の街だから」
教会で雑務のボランティアをするグレッグも、現場から帰ってきた制服の役人も、そう言っていた。誇らしげだった。肉体の許す限り笑顔でいた。正体不明で役立たずの旅行者である私にも笑顔を向け、握手をし、「来てくれてよかった」と言った。

犠牲者の名前が並ぶ。
「彼らに敬意を表するために、ここには何も書かないでください」 と表示されている。それほどに、他の場所は人々の書き込みで埋まっている。

瓦礫の中に、ビルの構造物で偶然できた十字架があった。誰かがそれに供え物をした。 だんだんと、現場で働く者たちがそこを飾り、 そこで祈るようになった。
今は現場のすみに移されたが、祈りの場所としての役割を果たし続けている。

この街に着いてからというもの、どこにでも見つける「I love New York」「United We Stand」の文字に、私は昨日まで違和感を持っていた。そういうポーズをすることが義務のように受け取られているのかと思った。でも今日はもう、それは誤解だったと感じる。あの日ここは戦場だった。彼らはそう意識している。
それでも忙しいニューヨーカーたちは、それを言葉や態度に現すことに毎日の時間を費やしはしない。文字、絵、オブジェなどの形に思いを托し、そして元の生活に戻る。その生活スタイル自体の善悪については、既に長い間論じられているまったく別の問題であり、今ジタバタと結論を出すべきことではない。ただ、生きることをやめない、楽しむことをやめない、自由でいることをやめないという行動。それが彼らの戦い方であり、教育のある者も無い者も確信し得る共通の「今するべきこと」なのだろう。
地下鉄テロの後、東京の街からはほとんどのゴミ箱が消えた。爆弾や毒ガス発生装置の格好の隠し場所だからだ。一方、貿易センタービル跡地からChambers Street駅へ向かう道には、それらは今も平然と並んでいる。教会でもらったコーラを飲み干したグレッグは、空き缶をそこへ投げ込んだ。コーラなど飲まなくても生きていける。ゴミ箱が道路になくてもなんとかなる。それでも、彼らは止めはしない。

街の中心へ戻る。
「さて、明日はすごい日になるよ」
グレッグは映画館前の行列テントへ帰る。旅行者である私はホテルへ帰る。明日はSTAR WARS Episode2のオープニングナイトだ。3年間待ち続けたその時のために、未来への不安で目を覚ましたりしないしたたかさで、深く長い睡眠を取ること。私はその前に少しだけ、今日見たことを人に伝えるためにメモを書いておくこと。それが、我々に見えている「今するべきこと」だった。
戦場はこの街を一時的に去っただけで、地平線の向こうに存在している――そんな夜だとしても。(2002年5月)


街の南にあるバッテリーパークに、貿易センタービルの前庭からオブジェが移築されている。広島の原爆ドームを思わせる。
自由の女神の見学者が通るこの公園では、アメリカ人の観光客どうしが言葉を交わす。「これって貿易センタービルのアレでしょ」「そうそう」「よくこんなに残ったよね」

文と写真:JediKYOKO